こんにちは。文章を書くのが好きな一般人、うつがや(@utugaya)です。
実は僕、「メンヘラ研究家」として日夜インターネットに蔓延っていた著名なメンヘラを研究しているのですが、最近悩みがあります。
それは、最近のインターネットに蔓延っているメンヘラはみんな「キャラクター化されている」というところです。
「病んでる」が最早日常の呟きと化したこの一億総メンヘラ社会において、メンヘラである事はステータスとなってしまいました。
「メンヘラ」を自称する人々は皆一様に薬をいかに大量に飲んだか自慢をかまし、腕にあるリスカ跡をこれでもかと見せつけてきます。
正直、自称メンヘラ研究家としては納得がいかない現状です。
古来より続く「メンヘラ」とは、本来もっと明るく、常にポジティブな思考をしているのにも関わらず心の奥底に闇を抱えている様な存在だったというのに、今やその影はなく「ただ病んでいるだけの存在」に成り下がっています。
そんな現状に嫌気がさすたびに、僕は「南条あや」を思い出すのです。
インターネット黎明期に彗星の如く現れた南條あやさんはまさにメンヘラの先駆けと言っても過言ではない存在であり、彼女の残した文章からは底抜けに明るい病みを垣間見ることができます。
今回はそんなメンヘラの祖「南条あや」の生きた軌跡が載っている書籍、「女子高生まで死にません 現役女子高生南条あやの日記」のどこが良いのか、どんなところにこの書籍を読む意味があるのかを紹介していきたいと思います!
ズバリ、この書籍のオススメポイントは「本来の明るい『メンヘラ』という存在」が垣間見えるところです。
彼女は病んでいても、どこまでも明るくて、どこまでも優しかった。
それでは早速紹介していきましょー!!
- 南条あやを育てきれなかった。父親の後悔から始まる彼女の日記はフィクションじゃないんです
- 彼女の生きる希望を表していたのは、精神科で処方される薬だったんだ
- どこまでも明るい彼女の日記は、ある日突然終わりを告げます
卒業式までは死にません 南条あやの日記について
あらすじ
ここにいるのは、特別な女の子ではありません。もしかしたら自分だったかもしれない「もう一人のあなた」です。渋谷、ゲーセン、援交、カラオケ――。青春を謳歌しているイマドキの女子高生かと思いきや、実は重度のリストカット症候群にしてクスリマニア。行間から溢れ出る孤独と憂鬱の叫びが、あなたの耳には届くでしょうか。死に至る三ヶ月間の過激にポップなモノローグ。
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書籍情報
著者 | 南条あや |
定価 | 630円+税 |
ページ数 | 336ページ |
初版年月日 | 2004年3月1日 |
ISBN | 978-4-10-142021-9 |
おすすめポイント

南条あやを育てきれなかった。父親の後悔から始まる彼女の日記はフィクションじゃないんです
この書籍を開いてまず目に飛び込んでくるのが、「はじめに」と題された南條あやさんの実父である鈴木健司さんが綴る娘への後悔の手紙です。
この手紙の賛否は一度置いておいて、読み始めたあなたはきっと気づくことでしょう。
そうです、この日記はフィクションなんかじゃないんです。
南条あやは別に、インターネットの中に存在していただけのちっぽけな存在でもなんでもないんです。
ちゃんとお父様がいて、1999年に彼女の後ろ姿はあったんです。
この事実に気がついた時、私はとても衝撃を受けた事を今でも覚えています。
心のどこかで「きっと見知らぬ誰かが『南条あや』というキャラクターを演じているだけ」という思い込みがあり、だからこそ初手で実父が登場した時の衝撃は計り知れませんでした。
Vtuberが台頭してきた今のインターネットにとって、そのアカウントのキャラクターを演じるというのはインターネットユーザーにとって当たり前の出来事になってしまっている様に感じます。
その裏側には生身の誰かがいて、その人はきっと私たちからすれば顔も名前も知らない様な人なのであろうと勘繰ってしまいます。
けれど、「南条あや」の軌跡を辿る書籍ではそんな「フィクション感」を南条あやではなく実の父親の文章で始める事によって破壊しているのです。
フィクションじゃないからこそ見えてくる南条あやの女子高生としての等身大な苦しみや嘆きを感じるのに、こんなに適した始まりはありません。
南条あやの日記は、南条あやがこの世に存在していて、そしてもうこの世にはいない事を綴る手紙から始まるのでした。
彼女の生きる希望を表していたのは、精神科で処方される薬だったんだ
次に紹介するおすすめポイントは本書の特徴と言ってもいい、南条あやが事あるごとに書いてきた「精神薬について」です。
本書では南条あやの体験談からたくさんの向精神薬や睡眠薬が登場してきます。
アナフラニール、アビリット、アモキサン、エバミール、デパス、ハルシオン。
この記事を執筆している2024年では依存性や代替薬の発見でもう既に使用禁止になった向精神薬もあり、その時代を感じることができます。
そして何より、南条あやはこのたくさんの精神薬を「希望」とし、たくさんの薬を集めたり、色々な種類の薬を服薬し効果を体感する事で生を感じていた節があります。
精神科で過剰に薬が処方される様し向け、飲まない薬は溜めておきそれを生きる糧として生を繋いでいく。
南条あやの日記ではこの溜めてある薬を捨てられる事が何よりも嫌な事だと感じ取れる様な表現が度々出てきます。
その姿はまるで、ぬいぐるみに縋る幼子の様。
精神薬の事に関しては嬉々として「今日は〇〇を何g飲んだ」と日記に認める彼女の姿はどこか愛らしくて、病んでいる事を忘れてしまうくらいに明るくキラキラと輝いて見えます。
これこそ、今のメンヘラにはない「底抜けな明るさ」の所以だと考えます。
病んではいる。だが、病んでいる事を決して恨む様な姿を見せない。
彼女が内包した「内側の闇」が垣間見えると共に、その愛らしさから共感を呼び、多くの病んでいる人を魅了していく。
ただの女子高生だった南条あやがここまで愛され、”病みアイドル”的なポジションに立ったのもこの「底抜けな明るさ」が関係しているのだと思います。
今精神が落ち込んでいる方、生きているのが辛い方、そんな方はぜひこの「南条あやの日記」を読んでみてください。
過去の彼女の明るさが、もしかしたらあなたの苦しみを和らげる精神薬に繋がるかもしれません。
どこまでも明るい彼女の日記は、ある日突然終わりを告げます
精神薬を愛し、自分を置いていくかの如く流れていく時の流れになんとかしがみつき、そんな日常でもユーモアや日々の気づきを忘れない、南条あや。
この書籍を読み進めていくと、南条あやの底抜けに明るくて「生きたいが為の力強さ」をひしひしと感じる事でしょう。
ですがある時をもって日記は突然終わりを迎えるのです。
それは高校を卒業し、すぐのことでした。
本書もまた、南条あやが最後に投稿した日記の後は「解説のページ」となっており、言うなれば物語が突然終わりを迎える感覚に陥ります。
彼女の今後は一体どうなるのか、それはもう誰にもわからないのです。
享年18歳。それが最後に残された情報でした。
あんなにも底抜けに明るくて、心地の良い文章を書く南条あやはもうこの世にいないのです。
そしてこの日記もまた、もう二度と更新されることはありません。
ここで改めて色々と考えさせられます。
南条あやを救える人はいなかったのか。
何故南条あやは死んでしまったのか。
もし自分が南条あやであったなら、同じ行動をしていたのか。
故人が残した日記から、生きている私たちが糧にできるのは、そんな自問自答です。
この日記を閉じて、数分瞼を閉じ考える。
それが「南条あや」という1時代を生きた底抜けに明るい女子高生への弔いになると願って。
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- にゃるら「僕はにゃるらになってしまった ~病みのインターネット~」

Twitterに主に生息している「にゃるら」。
あなたもTwitterばかりしていると「にゃるら」になってしまうかもしれないよ……。
KADOKAWA
本書は「今の世代で一番有名なメンヘラ」と言っても差し支えない、にゃるらさんのエッセイが纏められた本になります。
この書籍のオススメポイントはズバリ、「何故彼は『にゃるら』になってしまったのか」が書かれている点です。
前述しましたが南条あやは「南条あや」ではなく、彼女の人生を生きていました。
ですがインターネットの発展と共に現実世界とハンドルネームが結びついてきており、「別人格が本当の自分になってしまう」人も多いように感じます。
そんな現代を生きる我々に、にゃるらさんは「何故自分は『にゃるら』という生き物になってしまったのか」を語ってくれます。
今を生きるメンヘラを知りたい人、鬱々としたエッセイを読みたい人におすすめの書籍です!
まとめ
ということでいかがだったでしょうか?
今回は1900年代の終わりを生きた女子高生、南条あやの日記をご紹介しました。
軽めの文体で認められた日記の数々からは、彼女の苦しみと共にそれ以上の「生きてやる」という強い意識を感じることができます。
今やどこかに消えていってしまった「底抜けに明るいメンヘラ」の文章は、きっと明日を生きる糧になると思います。
僕は彼女を忘れないためにも何度も読み直し、そして彼女が生きれなかったこの世界を生きてやろうとそう思います。
気に入って頂けたら是非手に取って頂けると嬉しいです。
最後まで読んで下さりありがとうございました!