こんにちは、文章を書くのが好きな一般人、うつがや(@utugaya)です。
皆さんには好きな明治の文豪はいらっしゃいますか?
中原中也、宮沢賢治、坂口安吾、夏目漱石。
教科書に載っている作品を書いた文豪から、近代文学史に名を馳せる作家まで。
名著はいつ読んでも心を震わせ、文学の楽しさを教えてくれますよね。
そんな僕にも好きな文豪はいまして。
それが近年注目度が高まっている「人間失格」を書いた太宰治なんです。
中学2年生の頃、思春期特有の陰鬱さを抱えていた僕は偶然にも人間失格に出会い、夢中になり何度も読み返した記憶があります。
「3枚の写真」から始まる書き出しの文。
暗く、重く、ジメジメしているのに、どこか重たい心に同調してくれて共感してくれる。
それから今日に至るまで、様々な太宰治作品を読み耽りました。
そんな太宰治ファンの僕はついに今年、「桜桃忌」に参加することができましたので今回は「好きな文豪の墓参りしてきたレポ」と題して現地の様子をお伝えしようと思います。
「桜桃忌って何?」「どんなことするの?」「実際どうだった?」など、実際に太宰治のお墓に参ろうと思っている初心者の方へ向けて詳細に書き記そうと思いますので最後までお付き合いいただければ幸いです。
それでは、いってみましょー!
桜桃忌ってなに?
あまり文学に知見が深くない方には初見であろうこの言葉。
ざっくり説明をすると桜桃忌とは「太宰治の忌日」に当たる日の事を指します。
昭和23年6月15日、愛人の「山崎富栄」と共に玉川上水へ飛び込んだ太宰治は連日の豪雨もあり行方不明となります。
そして昭和23年6月19日、惜しくもこの日は太宰治39歳の誕生日でした。
玉川上水からほど近い川にて2人のご遺体が発見されます。
こうして死去した太宰治は東京都三鷹市にある「禅林寺」のお墓に埋葬されました。
太宰と同郷の津軽の作家で、三鷹に住んでいた今官一がこの日を太宰治の作品「桜桃」から「桜桃忌」と名付け、毎年数多くの太宰治ファンが参拝する日となったのでした。
実際に行ってみた
そして、太宰治の61回忌に当たる今年、ずっと太宰治の作品を心の拠り所にしていた僕は実際にこの桜桃忌に参加してみることにしました。
気温は30℃を超える猛暑日。
三鷹の駅で降り、Googleマップの指示に従い禅林寺へと進んで行きます。
実は、三鷹には何度か訪れたことがあり、ある程度の地の利はある方でした。
三鷹には禅林寺の他にも太宰治グッズや書籍がある「太宰治文学サロン」や、生前太宰治が住んでいたところを改装し作られた「太宰治展示室」など他の見どころもあるので初めて訪れた方は是非一度立ち寄ってみて下さい。
特に「太宰治文学サロン」は初心者の方が行くと一度は行くべき場所や観光情報について教えていただけるので参考にするともっと太宰治の最後を辿れるかもしれません。
そんなこんなでJR三鷹駅より歩いて15分。まず初めに、八幡神社の敷地が見えてきました。
迷いがちなのですが、禅林寺はこの八幡神社のお隣にあり、ここが目的地ではありません。
まずはこの道をまっすぐ進みます。
そして八幡神社の鳥居前を曲がったら、またまっすぐ進んでいきます。
そうしてついたこここそ、太宰治のお墓がある禅林寺になっています。
禅林寺の鳥居を潜ったら、その後はずっと、敷地の奥、社殿の前まで進みます。
その横手にはこんな看板が。
こここそ、目的の太宰治の墓がある墓地に向かうための入り口になります。
横道を潜り、合同墓を通り過ぎ、右に曲がり三つ目の通路を進みます。
すると……。
沢山の人だかりと共に様々なお供物の置かれたお墓が見えてきました!
太宰治の文字に嵌め込まれているさくらんぼ。
これこそまさに「桜桃忌」の名物である光景と言っても差し支えないような、独特な”奇祭”としての雰囲気が漂っています。
お墓の前では手を合わせるものや太宰治トークに花を咲かせるファンの人々が列をなし、各々の桜桃忌を楽しんでいるような、そんな空気感です。
早速僕もお墓に手を合わせ、素晴らしい作品を後世に残してくれた感謝と太宰治賞が獲れるようにと祈願を残します。
さて、事も済んだことですし帰ろうと出口に向かう前に、太宰治の斜め前にあるお墓にも手を合わせます。
もう看板の写真をご覧の方はお分かりでしょうが、なんと禅林寺には森鴎外一族のお墓もあるのです。
元々森鴎外を傾倒していた太宰治。
そんな太宰治の遺言により、地域の反発を振り切って森鴎外の墓の斜め前に太宰治の墓が作られた、という逸話も残っています。
太宰治のお墓が寂しそうな雰囲気を醸し出しているのに対し森鴎外の墓は立派で、威厳があるような、そんな印象を感じます。
こちらの墓にもさくっと手を合わせると、墓の中に眠る偉大な文豪に祈りを捧げ、墓地を後にしました。
余談:なんでさくらんぼを墓石に詰めてるの?
桜桃忌に太宰治の墓石へさくらんぼを詰めていることに対しインターネット上では賛否両論があるらしく、度々議論になっていますよね。
確かにいくら奇人として有名だった太宰治だとしても、故人が眠る墓に何か手を掛けるのは墓荒らしとして捉えられてもおかしくないのかもしれません。
ですが、この「桜桃忌にさくらんぼを太宰の文字に嵌め込む」という習わしは古くから残る伝統のようなものなのです。
「桜桃と酒を墓前に供えるのはむろんだが、『太宰治』という文字の窪みに鮮紅色の桜桃を点々と連ねて嵌めこむことは誰がはじめたのであろう。墓石に酒を注ぐのとともに、いつとなくつきものの行事のようになっている」
桂英澄「桜桃忌の三十三年」
太宰の弟子であった桂英澄の著書「桜桃忌の三十三年」にはこのような文もあり、桜桃忌が始まった初期から残された習わしであることが表されています。
古くには文豪である佐藤春夫や井伏鱒二なども参加した桜桃忌。
奇祭と呼ぶには少し物悲しく、どちらかというとさくらんぼを嵌め込む文化は奇人・太宰治の死を嘆き「お前が遂に死ぬなんてな」と嘲笑するような習わしなのかもしれません。
これを持っていけば間違いなし!おすすめお供物2選
さて、最後に「桜桃忌になにかお供物を持っていきたい!」という方向けにおすすめのお供物を二つご紹介します。
さくらんぼのパック
まず一つ目は、前述した通り「墓石にさくらんぼを嵌め込む」という伝統がある桜桃忌に相応しくさくらんぼのパックです。
こちらは桜桃忌でも沢山のパックが墓前に供えられており、自分で持ってきたさくらんぼで墓石に詰めることができます。
ただ、太宰治がさくらんぼが好きだったかと言われるとなんとも言えないので、まさに桜桃忌向けなお供物と言えるでしょう。
味の素
次にご紹介するのが、味の素の瓶です。
こちらは由緒正しく太宰治の大好物で、檀一雄の小説中にて太宰治が「僕がね、絶対、確信を持てるのは味の素だけなんだ」と発言した根拠も残っています。
また、太宰治の生まれ年1909年と味の素の発売年1909年が同じと言うのも相まって、太宰治を想うならお供物には味の素がいいのではないでしょうか?
まとめ
と言うことで今回は文学オタクが好きな作家の墓参りに行ってきた話をお送りしました。
一時バラエティーでも取り上げられていた「墓参り」という趣味。
全国各地には文豪のお墓が点々と存在しており、例えば山口県山口市には中原中也のお墓があったり、京都には紫式部が眠るとされる古墳が残されていたりします。
あくまで墓地であると言うことを意識して、眠る故人に敬意を払いながらそれぞれの偉人が眠る墓を巡ると言う趣味、いかがでしょうか?
僕は来年も是非機会があれば桜桃忌参加したいと思います!
最後まで読んで下さりありがとうございました!