校舎を出ると、帰り道は選択肢のことばかり考えていた。耐えがたい恐怖を味わった僕にとって、最良の選択肢はきっと現実に戻る方なのだろう。
だが、彼女の言っていた「君を離したくない」と言う言葉は、その選択をするのにあたり大きな弊害となった。
初めて見つけた同郷の人。手放せば、二度と会うことはないのかも知れない。それは今後の人生で「理解者はいない」と宣告されたも同然だった。
どうすれば良いのだろう。脳内論争が、大幅な分断を生んだ。
不意にイヤホンから流れ続けている音楽が嫌になって、イヤホンを外した。
イヤホンをしていたせいだろうか。いつもより外の音が鮮明に入ってくる。
「%&#”⁉&%#&⁉#’%”’%⁉”’⁉」
「&‘!’%#!&‘$!#!’&!」
「(&%!&$“&!$‘!%#!(#&’」
道行く人の話し声がやっぱり音でしか聞き取れず、言葉が陥落したみたいに、何ら意味が理解できなかった。
やはり、彼女の言っていたことは本当だった。
僕は意味の分からない言葉の群れに胸が苦しくなり、イヤホンを再度、耳に刺した。
音楽は流れていないが、それでも音を遮断することで、ある程度心の消耗は防げるようだった。
空には、午後特有の濃い青色が一面に広がっていた。そこに浮かぶ白い雲がまるで靄のように、空の表面に傷を付けている。
言葉。
頭にぽつんぽつんと浮かんでくる言葉を、咀嚼する。
彼女の声。母親の声。周りの声。
いろんな声に乗って言葉が湧いてくるけど、一番鮮明に聞こえたのは、やっぱり彼女の声だった。
砂糖菓子のように綺麗で、サイダーのように透き通っていて、金平糖のように淡い色をした声。
自ずと、答えは見えてくる。
青い空に言葉を飛ばして、僕は彼女に伝える言葉を考えていた。
放課後。廊下の一番突き当たりにあるドアを静かに開ける。
中には、本の整理をしている司書さんが居た。
目が合って、軽く、一礼する。
いつもは訪れる本を返す返却カウンターを素通りして、9分類の本棚へと足を進めた。
きっと、彼女が座っているはずだ。
僕はそんな希望を胸に、本棚の間を覗いた。
案の定、彼女は床に座って、一心不乱に本を読んでいた。
手に握られているのは、ルーシー・モンゴメリの「アンの夢の家」。
栗色の髪の毛を微動だにせず、視線だけで一生懸命本文を追いかけている。
僕は床に広がったスカートを踏まないように、彼女の前を横切る。
そして、彼女の隣に腰掛けた。
流石に衣擦れの音で気がついたのか、彼女は本から視線を上げるとふにゃっと笑った。
「お帰り、大輔。待ってたよ」
そう言って、片手で本を閉じた。
「待たせてごめん。でも、答えは出たから」
僕はゆっくりと、あの日紡いだ言葉を思い出すように、一言一言想いを込めて、彼女に飛ばした。
「夕暮れ、カーテン、木漏れ日、本、レモン入りタルト」
彼女は僕の言葉をゆっくりと、丁寧に心に仕舞うように耳を傾けた。
そして理解し終わると、僕らは手を繋いだ。
「斜陽、夕焼け、空、言葉、モンブラン」
きっと、これから大変なことは一杯出てくるだろう。
言語を捨てるというのは、それほどまでに重く、苦しい物かも知れない。
でも僕たちには、僕たちしか理解できない言葉が、確かに存在する。
その言葉が、僕たちだけの、世界を作る。
同じ星に棲む者同士、そんな苦しみも分け合って過ごしていければ良い。
だって、この世界には二人しか居ないのだから。

