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Novel

No Language’s

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僕には、言葉が理解できなかった。

「ねぇ大輔、今日は楽しかった?」

親の話す言葉。祖父母の話す言葉。先生の言葉。友達の言葉。道行く人の、何気ない言葉。

そのひとつ一つが耳の中まで入ってくるのに、不思議と言葉として認識されなくて、脳までたどり着かなかった。

「大輔、一緒にサッカーしようぜ」

彼らの話す言葉がまるで異国の言葉に聞こえて、理解しようとする度、焦りと、苦しみで心が一杯一杯になる。

「大輔君?」

彼らの言葉が怖い。彼らの話す言葉が分からない。彼らの言葉を理解できない自分が、怖い。

「おーい、大輔」

親からは心配され、何度も何度も病院に連れて行かれた。自分の知らない言語を話している病院ほど怖いものはなく、連れて行かれる病院全てがまるで僕を実験しているんじゃないかって気がして、胸が張り裂けそうだった。

「大輔、感想を聞かせて?」

それは周りの環境も一緒で、学校に入学すると親が相談したのか担任の先生から「配慮」という名の不要なお節介を受けた。他の人と関われるよう無理にグループを組まされたり、良くしゃべるよう沢山授業で当てられたりした。

それも僕にとっては地獄だった。言葉が分からない。体が受け付けないのだ。その言葉を聞くことも、話すことも。

「大輔――?」

だから僕は、耳を閉ざすことを覚えた。耳を閉ざしてしまえば、余計なお節介は入ってこない。耳を閉ざせば、異国の言葉を聞かなくて済む。耳を閉ざせば、自分の中の言語で話せる。

「大輔!」

それに本さえ読んでおけば、周りは何も言わなかった。最初は苦痛だった「異国の言葉で書かれた本を読む」という行為も、慣れてしまえば無限に広がる世界に浸れたし、「本をよく読む静かな子」というレッテルを貼られ、話さなくてもなんとも言われなくなった。

「大輔! 聞いているでしょう! 答えなさい!」

僕にとって言葉とは、分からない、分かりたくもない、そう言うものだった。

 言葉に対する違和感は、高校に上がっても続いていた。身近にある言語だからか幾分かは理解できるようになったものの、長時間聞いていたり話していると段々と心を恐怖の闇が包み込み、途端に違う国に一人ほっぽり出されたような、そんな感覚に陥る。

そんな感覚からいつも救ってくれるのは、創作の世界と自分の話せる言葉だけだった。

「なぁあれ、見てみろよ」

僕は弁当から顔を上げ、後ろを物陰から見た。そこには二人組の男子生徒が渡り廊下の塀を背もたれに立っており、二人で何やらこそこそと噂話をしていた。

「蛯谷瑠果、今日もなにかブツブツ言ってるぜ」

「うわ、本当だ。マジ不思議ちゃんじゃん」

「黙って居れば可愛いのにな」

自分たちの会話が聞かれているともつゆ知らず、堂々と陰口を叩いている。

僕が座っているベンチは渡り廊下の塀の隠れた位置にあり、いつも誰にも気づかれないのだ。

おかげで校内の噂話とか、陰口とか、色々と入ってくる。話せる友達がいない僕にとっては、そこが唯一の情報源だった。

僕は物陰から視線をずらし、男子生徒の見ている方に視線を合わせた。

そこには緩くうねった栗色の髪の毛をガラスの靴のヘアピンで留めている、学年で見ても大分整った容姿の女子生徒が立っていた。

彼女は両手に本と教科書を抱え、俯き何かをブツブツと言っている。

「……か、わい、そうだ」

僕は小声で彼女に哀れみの言葉を贈ると、再び視線を弁当に戻した。

キーンコーンカーンコーン。

視線を戻した途端、チャイムが鳴った。僕は残りの弁当を口の中に掻き込むとバックの中にしまい、渡り廊下へと入った。

流石に予鈴が鳴ったからなのか渡り廊下は人が散り、皆が早足で次の教室へと向かっている。

その中に一人、彼女はずっと渡り廊下に佇んでいた。

僕は気にも止めずに自分の教室へと足を進める。本鈴までに席に着かなければ、授業で当てられてしまうのだ。急がねばなるまい。

彼女の前を、早足で過ぎていく。

「…………ライム、レーズンパイ」

その時、「言葉のようなもの」が聞こえた気がした。

何故かその言葉だけスッと、僕の胸に入ってくる。まるで僕の心に言葉が溶け込み混ざり合い、元からそうであったかのように。

僕は驚き、歩みを止め、振り返った。

もうそこには、彼女はいなかった。

 実は、僕は彼女が誰だか知っている。

僕は放課後になるといつも図書室へ行くようにしている。

それは部活をやっていないからと言うのもあったが、唯一救ってくれる本という存在にもっと触れていたいというのが大きかった。

家に帰っても親は一方的に僕を心配してくる。学校はどうなんだ、友達はどうなんだ、勉強は、成績は、ちゃんとやれているのか。僕にとってみれば異言語を話す人々に怒られることは、嫌、と言うより恐怖に近い。だから毎日、帰宅時刻になるまで図書室で時間を潰していた。

そこに、蛯谷瑠果(えびたにるか)は現れた。

僕と同じく毎日現れてはお目当ての本が見つかると近くの椅子に座るでもなく即座に床に座り、その場で読み始める。

嫌でも目に付く彼女の行動を気に留めたことはあったが、彼女の声とか性格までは知らない。

彼女の話す言葉が何故あんなにも美しいと感じたのか、僕には理解できなかった。

ほんのりと、彼女に興味が湧いた。

 放課後、図書室へと足を進めた。時刻は17時を過ぎ、あんなにもギラギラとしていた太陽はなりを潜め、校舎をオレンジ色に染めるだけに落ち着いていた。

目的の廊下の一番端にある図書室に来ると、静かにドアを開けた。

本の整理をしている司書さんと目が合う。軽く一礼すると、図書委員が座っている返却カウンターへと向かった。

鞄から一冊読み終わった文庫本を取り出し、女子生徒に手渡した。

「へ、返却し、ます」

猿まね言葉で一言呟くと、流れ作業のように女子生徒は本のバーコードを読み取り、エンターキーを一回押した。

「はい。確かに」

女子生徒はパソコンの画面を一瞥すると、本を僕に手渡した。

彼女の手から受け取ると、本が置いてあった本棚までゆっくりと向かった。

「私たちが好きだったこと」。宮本輝の描く小説は、どこかビターで、どこか暖かい。この作品もスラスラ読めてしまうのに、読んだ後の暖かさは未だ胸に残り続けている。

こうして感想を脳裏に浮かべながら本棚まで向かう道中は、至福のひとときだった。

僕は本を元にあった場所へと戻すと、一度深呼吸をした。

ここから、また新しい物語探しの旅へ出る。

次なる物語を求めて本棚を物色しようと思ったそのとき、彼女はそこに座っていた。

スカートを床に広げ、まるでお姫様のように足を伸ばして床に座っていた。

手にはルーシー・モンゴメリの「赤毛のアン」が握られており、本文に視線が釘付けされている。

邪魔だと思いつつ、彼女のスカートを踏まぬようにそっと避けて通る。

その時、彼女の独り言が耳に入ってきた。

「カレーパン、国語辞書、ネクタイ、枕、ボトル入りガム、水」

「今……ん……て?」

ヤバ、と思い自分の口を手で塞ぐ。あまりにも彼女の呟きがスッと胸に溶け込んだ物だから、反射で言葉ならざる音が出てしまった。

彼女は僕の声が聞こえたのか本から顔を上げると「ん?」と顔を傾けながら、「カレーパン、国語辞書、ネクタイ、枕、ボトル入りガム、水」と言った。

彼女の声が、言葉が、まるで水のように耳に入ってくる。

親でも、先生でも、友達さえも違和感があったのに、何故か、彼女の言葉だけ何も感じず、まるで絵の具を水で洗うときのようにじわっと溶け込んでくる。

こんな経験は、初めてだった。

「チ、チョコレート」

思わず、口から言葉がこぼれた。それは自分だけが話せる、自分の胸の内に秘めていた言語だ。

僕は恥ずかしくなり顔を下に向けた。初めて聞かれた自分だけの言語。彼女に一言拒絶されるだけで、僕はいとも簡単に死んでしまうだろう。

そんな後悔と恥ずかしさから、視線が上に上がらなかった。

緊張で、体がこわばる。その場から一目散で逃げてしまいたいのに、手足も棒になったかのようにピクリとも動かなかった。

彼女はどんな顔をしているだろうか。

想像するだけで、数秒前の自分の姿の映像と彼女が重なって写る。

「白砂糖、だね」

先程と同じ声が聞こえた。僕は恐る恐る顔を上げる。彼女は僕の方を見て、春先の暖かな日差しに微笑むように笑っていた。

彼女はそのまま立ち上がるとスカートをぱっぱと手で払い、本を傍らに抱え歩き出した。

僕はすかさず彼女の後を追いかける。

彼女は僕に気がついたのか後ろを振り返ると、一言、こう言った。

「着い、て、こない、で」

僕はその言葉を聞いた瞬間、魔法にかけられたかのように動きが止まってしまった。

耳からしっかりと彼女の言葉が入ってきたはずなのに、脳の動きを意図的に止められているかのように理解ができなかった。

彼女はどんどんと離れてゆき、いつしか見えなくなってしまった。

外からはカラスの鳴き声と、下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響いていた。

 家に帰ると待っていたのは、異なる言語を話すオウムだった。

「ちょっと大輔! 親の話ぐらい答えなさいよ!」

何度も何度も同じことしか言わないオウムは、カーカーとわめき散らかしていた。

オウムの声を聞いていると余計に彼女の声が思い出される。

砂糖菓子のように綺麗な声。サイダーのように透き通っていて、金平糖のように淡い色をしていた。

僕はオウムから距離を取るために二階にある自室へと向かう。

オウムの声が段々と遠退いていき、代わりに古い家屋特有の匂いと、重厚感のある静寂が僕を包んだ。

ドアを開ける。

するとそこには床から高く積まれた本が一面に広がっている、暗い部屋が現れた。

所々に雑に放り投げられたノートなども落ちていて、初見だと何年か引きこもった人の部屋に見える。

僕はその部屋の光景を気にも留めずに中へ入っていくと、鞄から本を取り出しベッドに腰掛けた。

本の表紙を眺めていると、今日あった出来事を思い出す。

何故、彼女はあそこで「着いてこないで」なんて言ったのだろうか。

そんなに迷惑だったのだろうか。

思い出していると、不意に口走った自分だけの言語に恥ずかしくなる。

やっぱり、否定されてしまったのだろうか。考えれば考えるほど、嫌な考えしか出てこない。

一旦考えるのを辞めると、目を閉じた。

「カレーパン、国語辞書、ネクタイ、枕、ボトル入りガム、水」

彼女の言葉を復唱してみる。やはり自分が話している言語と同じで、とても違和感なく入ってくる。

彼女は、僕と同じ言語を話すのかも知れない。

そう考えるだけで、思考はネガティブからポジティブへと変わっていった。

(彼女ともっと話してみたい。)

気持ちの浮き沈みも大分落ち着いてきて考えが纏まると、僕は目を開けて横になり、本を読み始めた。

目の前に広がる真っ暗な世界に一点の光が現れたような、そんな高揚感を感じた。

 次の日の放課後、僕はまたしても図書室に来ていた。それは習慣だから、と言うのもあるが、今回の目的は蛯谷瑠果だ。

図書室に入ると前日と同じく司書さんに一礼し、返却カウンターで本を返し、本選びを始める。

ある程度時間が経った頃、ガラガラと図書室のドアの開く音がした。

本棚の陰から後ろを振り返る。

案の定、ドアを開けて入ってきたのは蛯谷瑠果だった。

彼女は僕と同じく返却カウンターで本を返すと、昨日と同じ本棚の前で座った。

手にはルーシー・モンゴメリの「アンの青春」が握られている。

僕は本を選ぶフリをして、わざと彼女の方に近づいていった。

(勇気を出すんだ。)

何度も心の中で唱える度、昨日の彼女の言葉が脳内でこだまする。

「着い、て、こない、で」

彼女は僕と同じ言語が話せる唯一の人かも知れない。それをこんな形で失いたくない。

脳内で葛藤し、気づいたときには彼女の前に飛び出していた。

「あ、えっと、き、昨日の、あ、あれだけ、ど……。き、君と、もっと、話し、たいなって」

拙い猿まねの言葉を用いてなんとか説明する。想いを口に出したことがなさ過ぎて、こんなに話せてなかったっけと自分でも混乱した。きっと緊張しているせいだ。

彼女は突然の僕の言葉に驚いたのか本から顔を上げると、静かにそのまま固まっていた。

その空間が緊張のあまり長く感じていたところで、彼女が口を開いた。

「え、えっと、昨日の、君、だよね」

彼女も拙い言葉でなんとか返そうとしてきているみたいだ。きっと端から見ればおかしな空間だろうな、と僕は思った。

「………………」

言葉に詰まったのか、それとも考えているのか分からないが、彼女の口が動かなくなった。

そして十秒ほど経った後、突然、彼女は立ち上がった。

「アルプス、充電器!」

彼女は小声ながらも強く言い捨てると静かに歩き出した。

僕は昨日と同じく、呆気にとられて動けなかった。

数十秒ほど経つと、図書室のドアがバン、と勢いよく閉められた音がした。

委員の人や司書さんが不思議そうにこちらをじっと見てくる。

「アルプス、充電器」

僕は彼女の言葉を小声で復唱してみた。

そこで、僕の過ちに気がついたのだった。

(やってしまった。)

気がついた瞬間、体の全ての力が抜けるような感覚に陥り、先程の彼女のようにその場に座り込んだ。

僕はなんてミスをしてしまったのだろう。

後悔の念がふつふつと湧いてくる。全身が、前日を超える恥ずかしさで一杯になった。

僕はその日、伝記の本棚の前で、静かに今日の出来事について悔やんだのであった。

 空が一面、夕焼けに覆われた帰り道。僕は彼女の言葉を何度も何度も繰り返し唱えた。

「アルプス、充電器。アルプス、充電器。……はぁ」

何度繰り返してもため息が出てくる。夕日に照らされたコンクリートの触感がまるで僕の心のように、ざらざらとしていた。

「アルプス、充電器」

彼女が言い残したのは「この言語で話しかけないで」、だった。

ああ、なんてミスをしてしまったのだろう。今すぐにでも彼女に謝りたい。

でもそれ以上に、同じ言語を話す人を、同じ星に棲む人を失ってしまった悲しさが僕を包んだ。

想いなんて、この言語に乗せるべきじゃ無かったんだ。

どんどんと湧いてくる後悔に、道端にあった小石を思いっきり蹴ることで発散しようとした。

気まぐれに蹴った小石はぽーんと飛んでいくと地面を転がりながら、最終的には電柱の下に生えている雑草で止まった。

「アルプス、充電器、か」

逆に考えれば、違う言語では、彼女と僕しか話せない言語の方で話しかけたら、彼女は答えてくれるのだろうか。

僕は心に、雑草ほどの小さな希望が芽生えた気がした。

せっかく、同郷の人を見つけたんだ。ここで諦めてはなるまい。

一度深く息を吸い込むと、思いっきり吐き出した。

肺が夕日色に染まった気がする。

星屑ほどの希望を胸に、僕は家路へと一歩進み出した。

 また次の日の放課後、僕は図書室へと向かった。

これで拒絶されたら諦める。そう胸に抱いて図書室のドアを開けた。

司書さんと目が合い、一礼する。

僕は返却カウンターで本を返すと、そのまま本棚へと向かった。

ここまでは昨日と同じく、彼女を待つ流れだったが、予想外の出来事が起きた。

彼女は僕よりも先に、図書室にいたのだ。

そのことに気が着かず、僕は彼女が座り込んでいる本棚へと来てしまった。

彼女と目が合う。

僕の脳内はまるで殺人鬼と鉢合わせたときのように、混乱の一途を辿っていた。

何故彼女がいるのか。どう接するべきなのか。何を話しかけたらいいのか。この視線は拒絶の視線なのか。なにを、なにを、どうしたら。

彼女は混乱する僕を一瞥すると、視線を本に戻した。

僕はそんな彼女を見て、一度彼女に感知されないくらいの深呼吸をする。

すると脳がリセットされ、自ずと何を彼女にすべきか分かってきた。

彼女の方に、視線を合わせる。そして咳払いをすると一言、呟いた。

「マグカップ、電子時計、ハニーゼリー」

彼女は僕の声に気がつき、本から視線を上げた。そして僕の言葉を理解したのか立ち上がり、僕と視線を合わせた。

彼女のアーモンド型の目が、僕の心を貫いた。

慌てて、視線を下げる。

「紅茶のティーバック、チョコケーキ」

僕の声が届いたのか彼女は小声でフフフと笑うと、口を開いた。

「蜂蜜、シフォンケーキ、電熱線、おまんじゅう」

「やっと話しかけてきてくれたね」。彼女の言葉に、肩の荷が下りたような気がした。

顔を上げて、彼女と視線を合わせる。口元を手で隠して、微笑んでいる彼女がそこにはいた。

僕はやっと、同じ言葉を話す人に巡り会えたのだった。

この記事を書いた人
うつがや

東京都出身2004年生まれA型大学生ブロガー。
文章を書くことが好きで2022年よりブログ「駄文の連なり」を運営中。
最近はずっと真夜中でいいのに。に激ハマりしている。

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